因果応報は、自分の畑しだい

たまたま一番上に上がってきたYouTubeで目にした「因果応報」という言葉。
何気なく流していたのに、そのときだけは、なぜか妙に引っかかって。
その日は、なぜだかずっと頭から離れなくて…。

誰かが何か間違ったことをしたとしても、
別に私が指摘しなくても、いずれその人自身が受け取ることになる。
それが“因果応報”。

つまり、私たちがわざわざジャッジする必要って、本当はないんですよね。

でも、
いつ、その種が芽を出すかは、誰にもわからない。

過去に蒔いた悪い種なんて、すっかり忘れていた頃に、
「あのときのアレ、今出てくるの!?」っていうタイミングで芽を出す。
しかも、人生がちょっと上向きになってきた、そんなときに限って。

…なんてこと、わりとよくありそうな話ですね。
日々の行いの積み重ねが、静かに、じわじわ、後から自分に返ってくる。

良いことも、悪いことも。

だからこそ、一日一日、自分の気持ちを整えておくことが
すごく大切なんじゃないかなと思います。

悪い種を蒔こうなんて思ってなくても、
自分が不機嫌だったり、ちょっと投げやりだったりすると、
意図せず誰かを傷つけてしまったり、
気づかないうちに“良くない種”をこぼしていることもある。

それ自体が悪いわけじゃなくて、
蒔いた以上、報いは自分で受けるしかないんです。

そもそも私たち、誰かの人生の採点係じゃないし、
人を叩いたところで、自分の人生が整うわけでもない。

もちろん、好きで人をジャッジしている人には関係ない話です。
(それが生きがいって人も、いますからね。元気そうで何よりです。)

だって、因果応報って、
「結局は、自分が蒔いた種が、自分に返ってくるよ」って話でしょう?

だったら、自分のことで手一杯の私は、
他人の畑に「それ雑草じゃない?」なんて言ってる場合じゃない。

自分の畑、草ボーボーですし。
しかも、どこからが雑草で、どれが育てたい芽だったのかすら、ちょっと怪しい。

というわけで、私はこれから、
“ネットサーフィン”よりも“自分に目を向ける”方向でやっていこうと思います。

因果応報は、自動運転で発動するらしいので。
私がいちいちハンドル握らなくても、大丈夫。

今日の結論:
正義のジャッジはAIに任せて、私は自分の心を整えておきます。

(たまには雑草抜きつつ…)
自分の畑、ゆっくり丁寧に耕していこうと思います。

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